ライターは自分の武具である言葉を磨き続けることができる仕事。
TK 51才 男性
クリエイティブであること。創造性豊かであることといってもいいでしょう。これはそれほど高度な技能を言っているわけではありません。何かの特殊技能が必要であるということを意味しません。
ただ求めることと求められることとが一致することが稀なのです。例えば、芸術家などでは高度な技能が求められます。何かの専門職ならそれなりの特殊技能が求められるかも知れません。ライター以外の仕事では、自分自身が求めることと作品に求められることとが一致することがまれのような気がするのです。
ライター業務では個人的に好きなことを書いているだけのものではありません。そこには仕事として求められる要件があります。ですから必然的にライター業務はある種の冒険に似た性質を持つことになるように思っています。
そして、ある程度書きたいことを書けるかなと思えるようになった時、「もう一歩」という衝動に駆られたわけです。もう一歩がどこに向かうのかは、あるいは人によって異なることなのでしょうけれど、わたしの場合は社会との接点を求めたのです。全面的に社会に回収されるのではなく、在宅という形態を許されることもその一歩にとって大きな要因であったと思います。
日々が挑戦としての光を帯びた、とは格好を付け過ぎでしょうか。人生の折り返し地点を過ぎたと言われる年齢になって、残りの人生の日々を占う同年代も多いなか、自らの内に宿る種を今一度育てんとする試みは、日々の挑戦として日々立ちはだかってくるかのようです。
穏やかな日差し差し込むオフィスの窓際で、若者たちの活躍を見守ることに価値を見ないわけではないのだが、文字の繋がりゆく姿に自分の姿を重ねて見ることもまた一つの時間の積み方であろうと思うわけです。未確定の明日を追い続ける機会としてのライターの仕事、を得たことが幸いでした。
概ね予想していた通りです。「こなす」というレベルに到達しているのかは別として、納期を意識しながらライティングするということは実にエキサイティングな作業です。しっかりとした担当者の存在は、安心して取りかかれた大きな要因にあげることができるでしょう。
業務毎に詳しい内容が設定されている辺り、頭が下がる思いになりました。業務や設定に発見があって、ライティングしているというよりは、まだまだ、ライティングさせてもらっているといった感じです。
ライターとして踏み出す勇気を持つことが大切だと思います。始めてのことに挑戦するのですから、恐れや不安は誰にでもあります。しかし、一歩踏み出すことができるなら、その一歩を踏み出す勇気を持ち続けることもきっとできるはず。
ライティング業務とは絶えず、恐れや不安との戦いであるという要素を含んでいるからです。なによりも、自分のコトバで綴るという格闘の連続ですから、自分のコトバに対する恐れや不安をむしろ大切にして欲しいなと思うのです。そのような戦いの中にあって、ライターは自分の武具であるコトバを磨き続けることができるのだ、と言えるからです。